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けっきょく湾曲大冒険

デザイン・フェスタ



朝まで呑んで過ごし、迎えた昼時。
アルコールが存外抜け切っていなかった、というのは至極日常のことである。
なぜなら人間の身体というのはアルコールの浄化についてそんなに都合よくできている訳ではないからなのであって、だからといっていい歳をこいた大人が皆そのまま踏んつくばって布団から出ないと社会が駄目になってしまうので、各々方は仕方なく「大丈夫大丈夫」と自分に言い聞かせて起き上がっているのだ。
だがやはり身体は正直なもので、そんな時に限って平時あり得ぬ所作を意に反しやらかしてしまうこと多々。
事によってそれは尊い命を奪ったりもするから至極危険。
急かしい現世の悲劇とも言えようか。

なんていう前置きの文章を考えながら私はデザイン・フェスタ見物のために東京ビッグサイトに向かっていました。
片手に町田康の新刊「告白」を抱えて。
もちろんそのために自分の名刺なんて持って行くのはすっかり忘れてましたけどね。
町田康の長編小説は実に読み応えがあってよく作られている。
特に今作「告白」はこれまでになく文体にも磨きがかかっており、その物語も秀逸。
実は昨年読売新聞でも連載されていたので作品を存じておられる方も少なくはなかろうが、当方くにゃくにゃの社会人であります故、新聞など取ってもまずこれを開かずひと月が過ぎる事多かりしなので駄目。

硬めに細かく描写された段落が続いたかと思えば、口語調の関西弁で語りつけるふにゃふにゃな文脈が随所に挟み込まれ、読む者を飽きさせない。
主人公の心情などは描くところは濃厚に塗りたくられているから、それで決して薄っぺらな文章にはならないというのが町田流長編小説のよいところ。

で、主題は関西人には馴染みもあろう、河内音頭「河内十人斬り」に謳われた史実を町田流解釈で描いたのがこの作品なのである。


 お外題は、「河内十人斬り」別名、「水分騒動」。
 明治二十六年に木戸熊太郎、谷弥五郎の二人が恋の恨み、金の恨みを晴らさんがために十人斬った挙げ句、金剛山に立て篭って自決したという事件を、当時の富田林警察署長お抱えの、音頭好きの人力車夫、岩井梅吉が演じ大評判となって、いまなお演じられる河内音頭のスタンダードナンバーである。<本文ヨリ引用>


幼少より周囲から不本意なキャラづけをされたことにより自分を道化として生きる主人公・熊太郎。
因果応報をを尊びやがては自分が幸せに導かれると信じてはいるが、やはり根は駄目な男なので博打と酒に延々興じ、人には散々騙され屁などをこいて暮らして居る。
概ね論理的な思考を持っているはずなのに、持って生まれた性分のお陰で実に不器用な生き様なのである。(全く以てこれらは作者の想像の域ではあろうが。)

それが彼を十人斬りという凶行に駆り立てたのは一体何だったのか。

本日はちょうど終盤を読み進めていた最中であり、公衆の面前でありながら電車の中で深くにも鼻腔の奥が熱くなった。
ちょうど耳かき一杯の練り辛子を食わされたのに似た様相。
悔しさとも悲しみとも哀れみとも形容し難い複雑な感情が一気に蒸れかえったのだね。

というのも主人公・熊太郎のその境遇、なんとも自分の移し身の様であってならんのです。
人生の駄目と思われる岐路を歩きまくっている熊太郎に「あ、それわかる。そうそう、そうなる」とついつい自身を照らし合わせて感嘆してしまうから不思議。

町田康は神さんか?

まるで熊太郎と同じ結末を辿ってはならんと町田康先生(神)に諭されているかのような、ひじょぉうに罪な小説だと私は思う。
くくく。

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いやあ、それにしても只でさえ来客と出展者の多いデザイン・フェスタ。
目まぐるしく往来する人の群れに視覚から入る情報が処理しきれなくて困った。
つまりは素晴らしい作品と作家さんとの出会いをみすみすスルーしながらずんずん歩いていた訳であり。

俺はそっと前日のアルコールの所為にしたのでした。
SO-1 * BOOK/MAGAZINE * 23:56 * comments(0) * trackbacks(0)

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